毎年8月11日から13日の3日間、開催される。
各団体が”連”としてチームを組み参加する”野球拳おどり”と”野球サンバ”で真夏の松山城下を賑わしている。
ところでこの”野球拳”だが、実は愛媛県が発祥。
大正13年(1924)10月、高松市の屋島グラウンドが完成し、その記念として近県実業団野球大会が催された。
当時西日本に名が轟いていた強豪”伊予鉄電”(現伊予鉄道)も遠征した。
対戦相手は、水原茂(元巨人軍監督)らを擁する高商・高中クラグ連合。
結果は、8-0で伊予鉄電野球部の完敗だった。
その夜の懇親会にて、意気消沈した”伊予鉄電”ナインを奮い立たすために生まれたのが”野球拳”踊り。
作者は、川柳作家であり当時の伊予鉄電野球部のマネジャーでもあった”前田伍健”
知名度が上がった一時期から、じゃんけんで負けると罰ゲームとして、服を脱いだり酒を飲んだりするのが広まったが、本家本元では、そんなルールはない。
”うな一”で、久々の美味しい”うなぎ”にありつけた~
その直後談です。
”勇進堂”さんで直してもらった”腕時計”を覗いてみると、17:40。
さ~帰ろうか?
いや!
車でここまで来て、駐車場を探す時に、街並みに不穏な動きを察知していました。
千舟町通りを閉鎖して、何やらするところに出くわしました。
危うく出れなくなる所だった!(危険を察知して、一本手前の中の川通りに停めました)
そうだ!
今行けば、何をやっているのか、分かるはず!
行ってみるべし! Let's go!
通りに近づくと、段々と騒々しくなってきます。
そして細道から出てみると・・・
デコトラックが大音響で、何やら野球拳をアレンジした音楽を鳴らして、ゆっくりと通り過ぎていきます。
そして!踊りながら練り歩く行列が!
老若男女、ちびっ子まで!
大音響の音楽に合わせて、みんな踊りながら行進していきます。
どうやら、連(組)に分かれて、披露しているようです。
そう!これが噂に聞くところの”松山まつり”です!
何組か見た後・・・
旨い”うなぎ”ではあっても”和友”のように”デカ盛り”ではないので、小腹が空いてきました。
よ~し”松山まつり”の本拠地に行ってみるか!
少し歩きましたが、以前”こなもんサミット”&”ゆるキャラグランプリ”をやっていた”城山公園”に!
以前のそれとは違って、そこまで人は多くはなかったですが、先ほどの踊っていた”連”達がこちらに集合しています。
”千舟町通り”で審査され、今度は選抜した人たちによる”演舞”を行っています。
また順番にステージの前を練り歩いています。
しかし今度はそれを見る事なく・・・
ステージの反対側がお目当てです。
これがお目当てで~す!
先ず手始めに”大分名物 とり天”
後でもう一度ここに来て”まぜそば”も食ってやる!
よ~し、次は”かまたま焼うどん”でも・・・
ん、何だありゃ!
”ふわふわ粉雪氷”
でか!
東京では季節外れで、寒い日が続いているようですが、こちらは連日の真夏日!
喉も乾いたし・・・
いっちょ、こいつで喉を潤すか!
「みかんの粉雪、くださいな~」
今どきのかき氷は、こんな感じなのか~
みかんのシロップでコーティングされ、頂上には”みかん”が、でん!と乗ってます。
そして、意外と重みは無いです。
さすが!粉雪!
嫁と二人で、食べ始め・・・5分・・・
もう駄目だ~、冷たくて食べきれん・・・
何度かくじけそうになりましたが、なんとか・・・
かき氷で腹が膨れてしまい・・・一番行列になっていた”中津からあげ”で、帰る事にしました(またから揚げかい!)
”まぜそば” ”かまたま焼うどん”に後ろ髪をものすごく惹かれながら・・・
想像通りの大渋滞を横目に、駐車場まで少し歩き、すんなりと帰る事が出来ました。
思えば・・・
時計のベルトを直してもらうため、ちょこっとお出掛けしただけなのに・・・
こんな所までの大冒険になってしまいました!
そんなお盆休みの初日のお話でした!
だんだん!
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