”vol.16 開拓”の前振りでは、西部開拓史の家族を描いた”大草原の小さな家”の父親役”マイケル・ランドン”の事に触れたが・・・
今回は・・・
「Boys, be ambitious !」(少年よ、大志を抱け!)の名言で知られる
”ウィリアム・スミス・クラーク”
”クラーク博士”の事に触れよう。
今でこそ”北海道”は新幹線も走り、近代化が進んでいるが・・・
つい300年ほど前(江戸幕府創設後”松前藩”設置)までは日本人すら立ち入らない、先住民族”アイヌ人”の住む”未開の地”であり”蝦夷地”として交易のみの”異国の地”であった。
1869年(明治2年)”明治新政府”によって”蝦夷地”から”北海道”と改称。
ちなみに、この”北海道”の命名は、当時の探検家”松浦武四郎”による。
”蝦夷”を音読で「カイ」⇒「加伊」という字に当て、北に位置することから「北加伊」⇒「北海」に改め、さらに行政上の区画を意味する「道」を補って”北海道”とされた。
”明治政府”は”ロシアの南下政策”に対して、北方の防備のため北海道の開拓を急務としていた。
明治2年(1869)北海道ならびにその属島の行政・開拓をつかさどる省と同格の中央官庁である”北海道開拓史”を創設。
札幌の開発、道路・鉄道・港湾の整備、鉱山の開発、官営工場の建設、集団移住者と屯田兵による開拓を、一気に始めた。
”札幌農学校”(現 北海道大学)の設立もその一つで、明治8年(1875)その”初代教頭”に就任したのが”クラーク博士”である。
その当時の学生たちは”戊辰戦争”に敗れた旧幕府軍側の人間。
いわば負組であるが”プライド”の高い”元武士”達である。
農民と同じ仕事をすることに抵抗を見せるのは当然の話。
しかし”クラーク博士”の情熱的な指導により酪農への魅力を感じていく。
驚きなのが”クラーク博士”の日本滞在期間は、わずかに9カ月。
この短い期間で学生達を導いていった。
”北海道開拓”で教えたものは、西洋の新式の植物学・動物学・化学ではあるが・・・
実は”フロンティア精神”
開拓する土地や対価ではなく、自らの心の”開拓”であった。
しかし”クラーク博士”の晩年は、決して明るい物では無い。
アメリカに帰国後、洋上大学の開学を企画するが失敗し、次いで鉱山会社を設立するも倒産し破産。
心臓病にかかり病床の生活の中、1886年(明治19年)失意のうちに59歳でこの世を去った。
「Boys, be ambitious!」には続きの言葉がある。
「Boys, be ambitious! like this old man」
「この老人(=私)のように、あなたたち若い人も野心的であれ」
そして、こう続く・・・
「けれどお金を望み、私欲を満たし、名声を求める大志であってはならない。 人間が本来持つべきもののために大志を抱け」
彼は帰国した後も札幌での生活を忘れる事は無かったと言う。
死の間際には・・・
「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしい時だった」
と言い残したと伝えられる・・・
輝いていた9カ月の想いこそが、今も日本人の”フロンティアスピリッツ”(開拓精神)の父とされる”クラーク博士の、本来持つべきものの”大志”である。
今も・・・
札幌にある”羊ヶ丘展望台”では、在りし日の”フロンティアスピリッツ”を、掲げている。
宿題山積みの今日この頃・・・
”年初計画”・・・(vol.232 年初計画 参照)
PC・スマホの画像整理 60%
確定申告 レシートなどの打ち込み 50%
お客様住所録の整理 80%
”緊急”(今週中!)とか言っておいて・・・1週間以上経っても終わってません・・・
計画を立てる ⇒ 実行する ⇒ 100%完遂する
この公式が”ベスト”ですが・・・
計画を立てる ⇒ 実行しようと思う ⇒ やらないよりまし・・・
と言うような”ベター”で、納得しときましょう(今、終わらせればいいじゃん!)
そんな事より!
先日”コメント”欄にこんな書き込みが!
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こんにちは!
2017年の10月に湯布院にて人力車にご乗車ありがとうございました!
お元気、おかわりございませんか?
私事ながら先月31日をもって引退しました!
~中略~
また小次郎くんも一緒に沢山の場所を旅されてくださいね☆
皆様にとって素晴らしい1年となりますように。
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うわぁ~懐かしい!
”美しすぎる俥夫さん”の異名をとる、湯布院で人力車を引いていた”レオ”さんからの”コメント”です!(vol.178 人力車 参照)
残念ながら”引退”との事で、次に何をするかは分かりませんが・・・(結婚?転職?)
語学堪能・スポーツ堪能な方なので、きっと!
楽しくハリのある人生を送られることでしょう!
ほんの1時間の出会いでしかありませんが・・・
かなりインパクトのある出会いでした!
陰ながら応援しております!
”一期一会”
そんな出会いは大事な物です。
そんな前振りで・・・
今回は”とくし丸”の新たな出会いともなる・・・
”再開拓”!
今年の”年初計画”にもある・・・
・停車場所 プラス10ヶ所
・客数 プラス20人
を達成するための、足掛かりになるお話です(昨年の10月頃の話で、恐縮です!)
”開拓”と言えば・・・
およそ3年前・・・
”とくし丸”を”開業”する直前の事を思い出します(vol.16 開拓 参照)
「”とくし丸”と言う移動販売車で、週2回自宅の前まで伺えるのですが、いかがですか?」
一軒ずつ片っ端から、説明をして・・・
「来てもいいよ!」
と言う方を探していきました。
”東京”から”愛媛”に”引越し”するまでの間、半分ほどは”Sスター”の新卒の子らと”Tさん”で、あらかじめやっていてくれましたが・・・
引っ越して来てから・・・
自分は”山間部”を中心に、一軒ずつ”とくし丸”のお話を聞いていただき、販売に回っていいかどうかを聞いて回りました・・・
足は棒になりましたが・・・
東京の風景と愛媛の風景の違いを堪能しながら、色々な人たちと話をしながら”お客さん”を探していました。
この人達が、自分の”お客さん”になるのかなぁ~と、思いながら・・・
夢を膨らませながら”新規開拓”をしていました。
”開業”当初は、これでもか!と言うほどの”お客さん”が集まり、大成功でした(タイムトライアル 参照)
しかし・・・
この最初の”開拓”で”お客さん”になった方々は、今では半分ほど・・・
色々な事情で、キャンセルになり・・・
ルートの中では、いかんせん、手が空いてしまう事もしばしば・・・
停められる道路脇に”とくし丸”を停めて、ただぼ~っとする事もありました。
”Sスター”の”Tさん”に頼めば”再開拓”もしてもらえますが・・・
ここは”個人事業主”!
自分で”お客さん”を、増やさなければ!
最初の時に配った”チラシ”やお手製の紹介”チラシ”を、そのあたりに”ポスティング”していきました(さすがにピンポン押して直接の時間はありません・・)
”Tさん”宛に連絡があったり、基幹店に連絡があったり、自分の携帯スマホに直接電話があったり・・・
その都度、新しいお客さんが、減っては増え、増えては減り・・・
その繰り返しでしたが・・・
昨年の夏ごろまで!
いつの間にか、お客さんも定着し、逆にお声が掛かっても、お断り(保留)する事が多くなっていました。
さて、ここからが本題。
順風満帆な日々が続いていましたが・・・
昨年9・10・11月あたりで、一挙に・・・
”施設”に入る人(vol.217 しばしのお別れ・・・ 参照)入院される人・・・引越しされる人・・・亡くなられた人・・・(かなりショッキングでした・・・)
数えてみると・・・その時期で3コース全てで(大口さんも含めて)12人の方がキャンセルや長期お休みになってしまいました・・・
重なれば重なるものです。
こんなこともあるんだね・・・もちろん、売上もがた落ちです・・・
気持ちも萎えていた、この時期ではありましたが・・・
気を奮い立たせて!
ここは久しぶりに!
最初の頃を思い返して!
新しい”お客さん”の”再開拓”をしてみっか!
とくし丸の紹介チラシと、お手製のチラシ、そしてご自慢”ビスタプリント”製のオニューの”名刺”(vol.228 名刺 参照)を添付して、ポスティング!
「○○曜日の○○時間当たりで、この辺りを回っています。
ご利用されませんか?」
やはり、ピンポンをしてご案内までは、時間が取れないので、空きが出来て時間に余裕が出来た場所で、ひたすらポスティング!
大概は、すぐにゴミ箱行なのでしょうが・・・
その時に連絡があったのは、2軒!
30軒ほどチラシを撒いたので、2/30の確立!
「○○の△△さんから話も聞いてるんだけど~、来れるなら来てくれる?」
「それじゃ○○曜日の大体○○時位に、お伺いしますね」
残念ながら、もう1軒の方とは、時間の折り合いがつかず、販売に回るには至りませんでしたが・・・
いつの日か、都合が合えば・・・と言う事になりました。
種を蒔くと言う事では、成功と思っています。
さて!
これからが”新規顧客獲得大作戦”の始まりです!
ちょっと中身が濃いので、続きは次回のお楽しみで!
だんだん!
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