愛媛県の一部の地域と、高知県の愛媛県寄りの地区で行われ”巳正月”とも言われている。
近親者が墓地にしめ飾りやお餅を備えて供養する。
その行い方は、いくつかあるようだが・・・
その日についた餅を、お墓で藁の火であぶり お箸でちぎり合ったり、包丁で刺して食べたりと、一般にしてはいけないと言われている方法でお餅を食べ、持って行ったお餅は残さず 食べて帰らなければいけない。
その食べ方も変わっていて、前を向いたまま後ろの人にお餅を渡していく。
なぜそのような事をするかと言うと、それを見て亡くなった人が大笑いして喜ぶからとか。
”みんま”のルーツは諸説あるが・・・
南北朝時代。
その時代に”伊予国”を治めていた”守護”である”河野家”は、南北朝の争いに、南・北の双方に兵を出兵。それに合わせて宇和周辺の荘園を治めていた”西園寺家”も出兵。
滋賀県と福井県の県境で伊予の国の人々が、互いに対峙した。
ちょうどその頃に大寒波が襲来。寒さの備えが不十分だった、南の兵士は次々と凍死。その姿を見た、北の同郷の兵士が、故郷で亡くなった兵士を弔う儀式として始めた事が始まりらしい。
言わずと知れた、私”spaick”は、生まれも育ちも東京!
4代続いていたので、生粋も生粋の”江戸っ子”です。
”とくし丸”をやるにあたり、四国は”愛媛県”に来た訳ですが・・・
4年もいれば、かなり慣れてきましたが、それでもこちらのご当地・風習の類で、驚かされることが、度々あります。
色々ネタが貯まって来てますが・・・
”とくし丸”史上、衝撃の風習がありましたので、まずはご報告をしなければ・・・
12月10日(火)は12月の”巳の日”
”みんま”の日でした。
「次の火曜日は”みんま”じゃけ、出てるけん、お休みにしてな」
「あ~”みんま”ですね。わかりました!」
と答えていましたが・・・
”みんま”って、何なんだ~!!!!
”とくし丸”を始めて、3回の12月を経験しましたが・・・
今までは、そんなお休みが・・・あったような?無かったような?
記憶にありません・・・
しかも今年は”みんま”で、お休みが!
なんと!6軒!
今まで気にしていなかった”みんま”・・・
知らないでいる事は、死活問題!
調査開始です。
以前・・・”だんだん”調査をしましたが(vol.147 だんだん 参照)
今回もまずは、長老のお客さんから・・・
「あの~、つかぬ事を聞きますが・・・
”みんま”って、何なんですか?」
「”みんま”?もう、若い人たちは知らん人も多いだろうけど、今年亡くなった人の”お正月”じゃ」
「お正月?」
「ここら辺とな、愛南の方の風習じゃな」
そんな風習があるのか!
と言う事で・・・
基幹店”Sスター”でも調査開始。
まずは、ベテランパートさんに聞いてみると
「仏様のお正月よ」
すんなり、答えが出てきました。
しかし、お客さんと同年代のなので、知っている人も多いです。
「今では余りやらなくなったんじゃないかしら?」
そう言えば、他のお客さんも、若い人は知らない人も多いとか・・・
それでは、お惣菜部の若手社員の人にも聞いてみるべし。
40前後の女性社員の方は(年齢違ってたら、ごめんなさい)
「あ~お正月でしょ」
20代位の男性社員は・・・
「え~何ですか?”みんま”ですか?勉強になりました」
すごい素直でいい子なんですが、小さいノートにメモっている所が、素晴らしいと思いました。
その隣で、ベテランパートさんは、知ってる知ってると言う顔をしています。
50代の同年代の副店長さんは・・・
「ミャンマーなら知っとるけど、何なん?」
”みんま”の風習も、時代の流れ・・・
世代の移り変わりで、薄れていっているようです。
ちなみに、家に帰って嫁に聞いてみると・・・
「メンマなら知ってるけど・・・」
副店長と似たり寄ったりですな。
40代位の店長さんは・・・
「??? あ~、昔、ばぁちゃんが無くなった年に、かぁちゃんに”みんま”やるからって、お寺に連れていかれたなぁ」
家として、行ったことがあるから、辛うじて知っていた、という感じです。
まぁ~これだけ調査出来たのも、6軒休みだからです。
それだけ、暇があったと言う事で・・・
売上も、ガタガタ!
来年の”みんま”の日は、定休日候補だな・・・
最後に・・・
”みんま”の話のついでに、店長さんがこんなことを教えてくれました。
「うちの嫁の実家の風習で・・・」
愛媛は南予の愛南町、一本松地区だけの、風習らしいのですが・・・
「厄年の人が、節分の夜に”年の数だけの豆”と”履物”を、四つ辻(交差点)に置き、それを誰にも見られないようにして振り返らないで帰ってくる」
と言うものがあると言います。
こ、こ、怖すぎる・・・!
恐るべし!
愛媛県!!
だんだん!
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