vol.254 巳午(みんま)

 巳午(みんま)・・・12月の巳(へび)の日に、その年に亡くなった新しい仏様のお正月を祝い、供養する風習。
 愛媛県の一部の地域と、高知県の愛媛県寄りの地区で行われ”巳正月”とも言われている。
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 近親者が墓地にしめ飾りやお餅を備えて供養する。
 その行い方は、いくつかあるようだが・・・

 その日についた餅を、お墓で藁の火であぶり お箸でちぎり合ったり、包丁で刺して食べたりと、一般にしてはいけないと言われている方法でお餅を食べ、持って行ったお餅は残さず 食べて帰らなければいけない。
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 その食べ方も変わっていて、前を向いたまま後ろの人にお餅を渡していく。
 なぜそのような事をするかと言うと、それを見て亡くなった人が大笑いして喜ぶからとか。

 ”みんま”のルーツは諸説あるが・・・

 南北朝時代。
 その時代に”伊予国”を治めていた”守護”である”河野家”は、南北朝の争いに、南・北の双方に兵を出兵。それに合わせて宇和周辺の荘園を治めていた”西園寺家”も出兵。
 滋賀県と福井県の県境で伊予の国の人々が、互いに対峙した。
 ちょうどその頃に大寒波が襲来。寒さの備えが不十分だった、南の兵士は次々と凍死。その姿を見た、北の同郷の兵士が、故郷で亡くなった兵士を弔う儀式として始めた事が始まりらしい。



 言わずと知れた、私”spaick”は、生まれも育ちも東京!

 4代続いていたので、生粋も生粋の”江戸っ子”です。

 ”とくし丸”をやるにあたり、四国は”愛媛県”に来た訳ですが・・・

 4年もいれば、かなり慣れてきましたが、それでもこちらのご当地・風習の類で、驚かされることが、度々あります。

 色々ネタが貯まって来てますが・・・

 ”とくし丸”史上、衝撃の風習がありましたので、まずはご報告をしなければ・・・


 12月10日(火)は12月の”巳の日”

 ”みんま”の日でした。

 「次の火曜日は”みんま”じゃけ、出てるけん、お休みにしてな」

 「あ~”みんま”ですね。わかりました!」

 と答えていましたが・・・

 ”みんま”って、何なんだ~!!!!

 ”とくし丸”を始めて、3回の12月を経験しましたが・・・

 今までは、そんなお休みが・・・あったような?無かったような?

 記憶にありません・・・

 しかも今年は”みんま”で、お休みが!

 なんと!6軒!

 今まで気にしていなかった”みんま”・・・

 知らないでいる事は、死活問題!

 調査開始です。

 以前・・・”だんだん”調査をしましたが(vol.147 だんだん 参照)

 今回もまずは、長老のお客さんから・・・

 「あの~、つかぬ事を聞きますが・・・
     ”みんま”って、何なんですか?」

 「”みんま”?もう、若い人たちは知らん人も多いだろうけど、今年亡くなった人の”お正月”じゃ」

 「お正月?」

 「ここら辺とな、愛南の方の風習じゃな」

 そんな風習があるのか!

 と言う事で・・・

 基幹店”Sスター”でも調査開始。

 まずは、ベテランパートさんに聞いてみると

 「仏様のお正月よ」

 すんなり、答えが出てきました。

 しかし、お客さんと同年代のなので、知っている人も多いです。

 「今では余りやらなくなったんじゃないかしら?」

 そう言えば、他のお客さんも、若い人は知らない人も多いとか・・・

 それでは、お惣菜部の若手社員の人にも聞いてみるべし。

 40前後の女性社員の方は(年齢違ってたら、ごめんなさい)

 「あ~お正月でしょ」

 20代位の男性社員は・・・

 「え~何ですか?”みんま”ですか?勉強になりました」

 すごい素直でいい子なんですが、小さいノートにメモっている所が、素晴らしいと思いました。

 その隣で、ベテランパートさんは、知ってる知ってると言う顔をしています。

 50代の同年代の副店長さんは・・・

 「ミャンマーなら知っとるけど、何なん?」

 ”みんま”の風習も、時代の流れ・・・

 世代の移り変わりで、薄れていっているようです。

 ちなみに、家に帰って嫁に聞いてみると・・・

 「メンマなら知ってるけど・・・」

 副店長と似たり寄ったりですな。


 40代位の店長さんは・・・

 「??? あ~、昔、ばぁちゃんが無くなった年に、かぁちゃんに”みんま”やるからって、お寺に連れていかれたなぁ」

 家として、行ったことがあるから、辛うじて知っていた、という感じです。

 まぁ~これだけ調査出来たのも、6軒休みだからです。

 それだけ、暇があったと言う事で・・・

 売上も、ガタガタ!

 来年の”みんま”の日は、定休日候補だな・・・


 最後に・・・

 ”みんま”の話のついでに、店長さんがこんなことを教えてくれました。

 「うちの嫁の実家の風習で・・・」

 愛媛は南予の愛南町、一本松地区だけの、風習らしいのですが・・・

 「厄年の人が、節分の夜に”年の数だけの豆”と”履物”を、四つ辻(交差点)に置き、それを誰にも見られないようにして振り返らないで帰ってくる」

 と言うものがあると言います。
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 こ、こ、怖すぎる・・・!

 恐るべし!

 愛媛県!!


 だんだん!

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